好きです
僕、物が捨てられないタチなんです
いらないものはいくらでもあるのだけれど、いざ捨てようというその時に何かに使えるだろうとか、誰かにあげれば使うだろうという思考が働いて、ほとんどが結局とっておくということになります
だから今日みたいに休みの日があると、もっぱら自分の部屋の掃除をしています
それで、サイドテーブルみたいなやつが邪魔くさかったので捨てようと思ったのだけれど、家のそとに出すことはできないのです。
つまり、母親にあげたわけです。
捨てるのはもったいないのだけれど、誰かにあげるとなると、そのものの存在意義が新たに生まれることがうれしくていくらでも自分の部屋からだすところまではできるんです
でもそれがうちの玄関からそとにいくということは大抵なくて、どっかしら妹にあげるとか母にあげるとか、父にあげるとかいうかたちで処理されていくわけです
で、僕と打って変わって母はものを良く捨てます。ときには人のものも勝手に捨てて怒りを買うというぐらいものを良く捨てます。
だから僕が母にあげたものも、二三日で捨てられてしまうこともめずらしくありません。でも、それはいっこうに構わないのです。なぜなら母にあげた時点でそれはもう僕の所有物ではないから。その時点でそのものの情報はリセットされるわけです。
でも、自分で直にそれをゴミ箱へ持っていくということがなかなかできないのです。妹経由、母経由、父経由でそれが結果的に捨てられるということはどうでもいいのですが、自分のこの手で捨てるということはどうももったいなくってできないのです。
だから、部屋を掃除するとなると、僕はいくらでも暇をつぶせます。朝七時から夜中までずーっと掃除し続けてるときもあります。
でもこのお掃除、意外と楽しいのです。掃除が生きがいといってもいいのかもしれません。いついつ過ぎれば捨ててもいいと思うものだったり、これはあと一週間は捨てちゃならんとか、これはこないだは捨てられなかったけど今なら捨てられるものだとか、捨てられないなタチのなかには、ようやく捨てる決心がついて捨てるときの喜びというものがあるんですねきっと。
つまらない話ですが、まとめると、僕が物を捨てられないタチで、お掃除が大好きで誰かに止められなければいっくらでも掃除していられるというオハナシでした。
僕、物が捨てられないタチなんです
いらないものはいくらでもあるのだけれど、いざ捨てようというその時に何かに使えるだろうとか、誰かにあげれば使うだろうという思考が働いて、ほとんどが結局とっておくということになります
だから今日みたいに休みの日があると、もっぱら自分の部屋の掃除をしています
それで、サイドテーブルみたいなやつが邪魔くさかったので捨てようと思ったのだけれど、家のそとに出すことはできないのです。
つまり、母親にあげたわけです。
捨てるのはもったいないのだけれど、誰かにあげるとなると、そのものの存在意義が新たに生まれることがうれしくていくらでも自分の部屋からだすところまではできるんです
でもそれがうちの玄関からそとにいくということは大抵なくて、どっかしら妹にあげるとか母にあげるとか、父にあげるとかいうかたちで処理されていくわけです
で、僕と打って変わって母はものを良く捨てます。ときには人のものも勝手に捨てて怒りを買うというぐらいものを良く捨てます。
だから僕が母にあげたものも、二三日で捨てられてしまうこともめずらしくありません。でも、それはいっこうに構わないのです。なぜなら母にあげた時点でそれはもう僕の所有物ではないから。その時点でそのものの情報はリセットされるわけです。
でも、自分で直にそれをゴミ箱へ持っていくということがなかなかできないのです。妹経由、母経由、父経由でそれが結果的に捨てられるということはどうでもいいのですが、自分のこの手で捨てるということはどうももったいなくってできないのです。
だから、部屋を掃除するとなると、僕はいくらでも暇をつぶせます。朝七時から夜中までずーっと掃除し続けてるときもあります。
でもこのお掃除、意外と楽しいのです。掃除が生きがいといってもいいのかもしれません。いついつ過ぎれば捨ててもいいと思うものだったり、これはあと一週間は捨てちゃならんとか、これはこないだは捨てられなかったけど今なら捨てられるものだとか、捨てられないなタチのなかには、ようやく捨てる決心がついて捨てるときの喜びというものがあるんですねきっと。
つまらない話ですが、まとめると、僕が物を捨てられないタチで、お掃除が大好きで誰かに止められなければいっくらでも掃除していられるというオハナシでした。
PR
COMMENT
カレンダー
カテゴリー
最新CM
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
R
性別:
男性
職業:
学生
趣味:
サッカー ギター
ブログ内検索
最古記事
アクセス解析